心配よりも信頼を

komuna_201070318こんばんは。

3月は翻訳もりもりやっていました。

先週は千葉の椿森コムナさんに、投げ銭ライブでもおじゃましました。
こっちのブログなかなか書けませんで、すいません。

2月に英語学習に関するブログをはてなで始めましたので、そちらも良かったら是非。
こっちは結構ぶっちぎって変なテンションで書いてます。

いやはやしかし。
3月、4月はありがたいことに、仕事たくさんいただいてて、忙しいです。

 

半年前は、忙しいの、やーだな。っと思ってたんですが、

今や、自分が望んだことだけで御飯食べさせてもらってるので、

こうなると忙しいの、好きです。全然どんとこい。

ていうか忙しいの、ありがたいっす。

しみじみ幸せです。

 

フリーランスになってまだ数ヶ月ですが、当初、食べていけるか、とか

家族にももちろん心配されたんです。

実際、早くもめげそうでした。

2月なんて今後の準備ばっかりで、あせってしまって。

精神的にも踏ん張りどころだった。

 

でね。

過度な心配はわたしにとっては愛じゃなくて呪いなんだ、ってこの凪の時間にしみじみ思いました。

大丈夫か?出来るか?やっていけるか?って毎日のように言われて、

しまいには、ちょっと参ってしまったのです。

 

だから、あんなに切実さをもって

「お願いだから!わたしのことを思うなら心配しないで!」

と人にお願いしたのは初めてでした。

 

逆に。

昔からわたしがお守りのように胸に大事にしまっていることばがある。

それは、

「大丈夫、きみはなんとかなる。どこでもやっていける」

と言うことば。

 

日本を離れてNYに19で旅だったときも、

NYを離れ、28で再び日本に戻ったときも、

色んな人からその言葉をもらって、そして、自分でもそう思って生きてきた。

 

心配されないことが、信じてもらえることが、

どれだけ自分を自由に羽ばたかせてくれてきたんだろうか。って、

今になってみて思う。

 

 

逆も然りで。

心配してあれこれ世話焼く方が、信じて黙って見守るよりも簡単なんだと思う。

それも愛の形なんだろう。

けど。

わたしは信じて野放しにしたいな。

信じてもらえたときの、自分に沸いてくる底力みたいなものを知ってるから。

 

今回もくだんの懇願から完全にほっといてもらったら、

 

よくわかんないけど、今までのように良い感じに色んな流れがまた動き出しました。

家族も、「よくわかんないけど、君は放置するのが一番良いって事はわかった」

とのことでした。

 

 

そして、心配の中にうっすら混ざりそうな

「(わたし・俺がいないと)だめでしょ」

みたいな依存への種みたいなものは、もう私は人からもいらないし、自分もあげたくない。

 

皆、大丈夫だから。

ちゃあんと、皆大丈夫だよ。って思う。

一人でもなんとかなる。世界はひっくり返ったりしないんだ。

変な風に依存させるから、ひっくり返りそうになるだけで。

 

大人同士ならまだバランスはとりやすい。

子供相手はきっと大変だろう。まだ未知の世界だけど。

 

そんなことをつれづれ思う、早春でした。

超個人的な事のようで、昔から思うテーマだったので、書いてみました。

わたしはまあ元気です。

 

ライアとのツアー、東京ライブもせまってきました。

こちらは、何とかなる、ではなく、良い時間しっかり作ります!

ライアのエレクトロニカな雰囲気に合わせて、

わたしもポエトリーリーディングや洋楽カバー、英詩の歌を多めにセットリスト組んでいきます。

普段昼間の似合う女と言われていますが、夜っぽい闇も似合う、色気のあるセット作りたいっす。

久しぶりに曲も書き下ろします!
ようやく、自分の自意識を脱ぎ捨てられそうな気がします。
丸裸の私を見に来て欲しいです。

詳細はこちらね(^^)

Pause and Play @Ebisu BATICA

ではでは。

ラブ、

ゆき

 

 

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